日本の自然葬の歴史と現代に残る痕跡

日本国内でも、散骨や樹木葬などの自然葬が1990年代より少しずつ行われる様になっていますが、樹木葬の用地不足や完全な法律面での規制緩和、日本人の死生観との相違などにより、まだマイナーな葬送方法ですが、平安時代の日本では風葬や鳥葬などの自然葬が、極当たり前の様に行われ、現在の地名にもその痕跡が残されている地域もあります。

嵯峨野の化野や東山の鳥辺野、洛北の蓮台野は、京都三大埋葬地と呼ばれ、平安時代以来の風葬や鳥葬の地として現代に知られています。



長きにわたり風葬の地とされた化野は、野晒しにされた夥しい数の遺骸を811年に空海が埋葬する為に五智山如来寺を建立し、後に浄土真宗七高僧の1人とされる法然が念仏道場を開き、化野念仏寺として現在に至っています。



又、化野に散財していた無縁仏を集めた為に、境内には約8000体の石仏や石塔があります。


先祖の霊を迎える六道参りの行われる六道珍皇寺は、鳥辺野の入口に当たり現世と常世の接点と言われ、清水寺のあった音羽山の麓の鳥辺野は死体が投げ捨てられていた鳥葬や風葬などの葬送地です。

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778年に延鎮上人が、供養する為に音羽の滝の近く観能堂を移したのが清水寺の由来とされ、阿弖流為を討伐した坂上田村麻呂が長岡京旧紫宸殿を本堂として音羽山清水寺と改め、現代に至っています。
又、沖縄地方や奄美地方では、昭和初期まで風葬が行われており、白骨化した遺体を泡盛や海水などで洗骨し、改めて埋葬する独特の自然葬が行われていた記録が残っています。